萌黄企画では、京都や各地で1990年代以降に増えてきた、「一軒の家や一部屋をシェアしつつ、その場所を社会に開いている」形態の住まい方、活動のあり方に可能性を感じて、これを「コモンシェアハウス」と呼んでいます。これを皆さんにどういう風に紹介しようかと迷ったのですが、あるメンバーが書いたメールの一部を紹介してみようと思います。


コモンシェアハウスの定義
1.一定の場所(部屋、家屋、ビル、空地など)をシェアして居住している、あるいは共同管理している。
2.その場所をプライベートな場だけではなく、社会に開かれた場として「も」使っている。

★「コモンシェアハウス」の可能性
もともと京都では1990年代からルーム(ハウス)シェアがブームになっていて、古い町家や民家、下宿屋だったら、なおさらありがたがられたりしてきたものですが、それに加えて、古い町家・民家の「店間」の構造を利用してシェアハウスを外に開く、つまり、カフェやフリマやショップ、あるいは市民運動や単なるダベリの場としてレギュラー/イレギュラーにシェアハウスを外に「開いて」るパターンですね。

最近、僕はこういう種の家を「コモンシェアハウス」と勝手に呼んでますが、京都でも無数にあるであろうこの形態の家、意外と相互に交流や連絡もないし、ましてや、あれだけ盛んな「町家再生/活用」関係者には知られてないんです。そんな話を、先日から京都近辺の「コモンシェアハウス」関係者やらとしていて、相互にゆる~くつながったら、結構面白いしバリエーションが出るんやないかと考えてます。

やっぱり社会運動って、まったりした「たまり場」的な所が必要な「生き物」で、こういうコモンシェアハウスって、まさにそのために欠かせない場所なんじゃないかと。また、一つのなじみ場所に集うのもいいけど、時々違うタイプの場所を行き来しながら、違うタイプの人たちとだべってみるのも面白いし、そこから発見がある気もします。

そんなわけで、萌黄としてかどうかは分からないのですが、この「コモンシェアハウス」に関わってる/関わりたい人たちの交流会をどこかでやってみたいなぁ、なんて思ってます。もちろん、会場はどこかの「コモンシェアハウス」で(笑)

★萌黄=現代社会のノマド(遊牧民)論
最近になって、必要に迫られて公共哲学系の文献を漁ってますが、その中で、イタリアの社会学者メルッチの有名な「現代社会のノマド」論を、改めて振り返ってみて、「おぅ、これって萌黄っぽいやん」なんて思ってます。

水面上に現れる個別具体的な「運動」「組織」「活動」ってのは表現方法に過ぎず、それぞれの人たちは自分の魂の赴くままに、自由な存在でいることを欲している、でも、ライフスタイルだとか意識、価値観、志向など「水面下」の個性の部分では、お互いに何か共感を感じていて、具体的な活動は違っても一緒にいて心地いいって奴ですね。だから、組織や運動で縛ってもまったく意味がないし、個人を捕捉することすらできない、じゃあ、みんながつながるにはどっから入ろうか、って話になるわけですが。

でも、こういう「現代社会のノマド」たちがつながるには、まさに前述のコモンシェアハウス的なところって、心地がいいんですよね。あるいは「石垣★カフェ」のようなスクウォッターみたいな縛らない場所、ちょっとアナーキーなところって、一番羽を伸ばせる気がします。だから、萌黄はこれからもそういうノリを大事にしたいなと思います。